アメリカで教わった本当のサービス、それは「売らないこと」
【第1章】 日本の「サービス義」に魔約された私
日本は「サービス大国」だとよく言われる。類まれな対応、深いおじぎ、平警な置設。それ自体は素晴らしいことだ。
だけど、そのサービスの本質は「お客様は神様」であり、「買わせる」ことを最優先にした設計のことも多い。
私はそれが常識だと思っていた。アメリカに行くまでは。
【第2章】 なかったら、よそで探してみて。
ロサンゼルスのモール。夏の暑い日、サンダルに歩き疲れた私は、店のウィンドウにアイテムを探して入った。
欲しかったのは、一種類のスニーカー。あるはずだったサイズがなかった。
すぐに店員さんが話しかけてきた。
「ごめんなさい。そのサイズはここには無いの。けど、一街こえのMacy’sにはあるかも。電話してみようか?」
あっけにとられた。他店を紹介するなんてこと、日本の店員では考えられなかった。それもその店で買わずに終わるかもしれないのに。
その店員さんは電話で在庫を確認し、場所や店長の名前まで書いたメモをわざわざ手描きしてくれた。
【第3章】 結局、その店にまた行ってしまう
そのときはほかの店で買い物をしたけど、私はそのエスニーの顔を覚えていた。そして数週間後に、別の品目で同じ店を再訪問したのだ。
なんとなく、その店は信頼できると思ったし、もっと話をしたいと思った。それは、「サービスを受けた」というよりも、「人間としてまともに扱われた」という感覚の方が近い。
買ってもらうためのサービスじゃない。「少しでも助ける」ことに精神を出している。
【第4章】 なぜこんなことをするのか?
アメリカの店員の多くは、コミッションベースで給料をもらっている。
つまり、販売につながらなければ収入にもならないのだ。
それなのに、その場で販売しようとせず、他店を紹介したり、手間をかけてまで、メモを書いてくれるなんて。
これはもう「仕事」を超えて「精神性」でしかない。
ここで学んだ。
本当のサービスとは、「その場」で売ることではなく、「最適な情報を渡し、何かを少しでも前に進めること」なのだと。
【結論】 無理に売るな。「意思のそばに立て」
その日、私が仕事でやっていた「売ること」が、あまりにも一方向で、しかも「こじつけ」のようなロジックにみえて、自分でもやってて悪い気がした。
けれど、このロサンゼルスでの体験は、そんな私に「それでいいのか?」と問いを挙げてくれた。
いいサービスは売らなくても、心に残る。それはいつか戻ってくる。
そう信じて努力する、そんなプロの身並みに私もたちたい。
