アメリカ滞在たった3時間!?──パイロット留学の夢と壮絶な初渡米記
渡米と聞くと、胸が高鳴る。アメリカの青い空、自由の国、そして飛行機大国!
……なのに、私の初めての渡米は、なんとアメリカ滞在たった“3時間”で終了しました。
そんな壮絶(?)な体験談を、笑って読んでいただければ幸いです。
幼少期の夢、F-4ファントムとの運命的出会い
時は昭和。小学校5年の夏、炎天下の空港で行われた航空ショー。

轟音を響かせて舞い上がったのは、米海軍ブルー・エンジェルスのF-4ファントム。鮮やかな青の機体が空を切り裂くように飛んだその瞬間、私は悟ったのです。
「パイロットになる!」
それは心に刻まれた決意でした。
戦闘機に乗りたくて航空学生に挑戦!
高校を卒業した私は、本気で戦闘機に乗りたい一心で、航空自衛隊の「航空学生」に応募。
1次、2次と順調に突破し、なんと3次試験の実技飛行テストにも奇跡的に合格!
これはもう夢への一直線!と名古屋から勇んで、山口県の防府北基地での入隊式に向かったのです。
しかし……。
入隊前の最終身体検査で悲劇が起きました。
視力検査で「0.9」——。
当時の基準では裸眼で1.0以上が必須。たった0.1足りなかっただけで、不合格となり、入隊も叶わずそのまま帰宅……。
もう泣きながら帰ったのを覚えています。

それでも夢を諦められず、アメリカへ
心が折れそうになりながらも、「どうしても空を飛びたい」という気持ちは消えませんでした。
そんなとき、当時発行されていた『翼』という航空専門誌に、アメリカで操縦免許が取れるという航空留学の特集記事が掲載されていたのを偶然目にしました。

「アメリカなら、近視でもパイロットになれる……!」
その一文に、私は人生の道筋を見出したのです。
しかし、問題は資金です。
当時私は、日本リクルートセンター(現在のリクルートの旧社名)でアルバイトをしており、そこで留学資金を稼ぐため、100時間を超える残業にも耐えました。
まさに汗と涙の結晶。そのお金を握りしめて、私はアメリカへ旅立つ準備を整えたのです。
R社(日本リクルートセンター)を退職し、いよいよ出発の日——。
さよなら日本、こんにちはアメリカ(のはずだった)
新幹線のホームで、バイト先の同僚たちに見送られながら「元気でねー!」と叫ばれつつも、内心はドキドキ。
成田国際空港から、シアトル行きのタイ航空便に乗るはずでした。
搭乗口へ向かい、ボードを確認すると……
「CANCELLED」 の文字がドーン。

まさかの エンジントラブルで欠航。
「え、僕の夢、空港で終わり?」
航空会社が用意してくれたのは、成田ビューホテルでの一泊。
ホテルのエレベーターでは、なんとブロンド美女と二人きりに!
「これは…運命かも?」

……なんて妄想も束の間、何事もなく夜は更けていき、朝4時半には航空会社のモーニングコールで強制起床。
いよいよ、憧れのアメリカへ出発です!
シアトル到着、そして地獄の始まり
20時間以上かけてようやく辿り着いた、アメリカ・シアトル。
「おお~、これがアメリカか~」
時差でボケボケになりながらも、イミグレーションへ。
頭の中で必死に台詞を練習します。
「目的は……観光! 滞在は……1ヶ月! 滞在先は……サンフランシスコの友人宅!!」
でも実際は、飛行機の免許を取るのが目的。
本来ならF-1ビザ(学生ビザ)で入国すべきところを、旅行会社のアドバイスに従い、観光ビザ(B-2)で入国しようとしたのです。
結果は、火を見るより明らかでした。
イミグレーション・オフィサー:「……You’re not a tourist.」
どうやら、僕の身なりが“いかにも学生”に見えたのか、怪しいと思ったのでしょう。
「荷物を見せろ」と言われ、ボストンバッグを開けると……

出てきたのは、入学許可証と教科書類。
万事休す。
そして、尋問スタート。
「何しに来た? どこに泊まる? 目的は? 本当に観光か?」
私:「か、観光です……」
オフィサー:「じゃあ裁判官を呼ぼう。判決が出たら、君は強制送還。10年間アメリカに入国できなくなる。でも、今ここで“自主的に”帰国するなら記録には残らない。どうする?」
私:「帰りますッ!!」
即答でした。笑
まさかのトンボ帰り。アメリカ滞在3時間の旅
というわけで、私はそのまま来た飛行機でそのまま日本に帰るという、なんとも情けない展開に。
アメリカにいた時間、わずか3時間。
行き帰り合わせて40時間の移動で3時間のアメリカ滞在。
ここまでくると、もう笑うしかありません。
ちなみに、その時一番記憶に残ったのは……
「シアトル空港のターミナル間を走る地下鉄」

あれ、めっちゃかっこよかったです。
教訓:ビザは正直に申請しよう
この出来事から得た教訓、それはただひとつ。
「正しいビザで入国しよう。」
夢に向かって飛び立つのも大事ですが、その前に地に足つけた準備が必要だったんですね。
今では笑い話にできますが、当時は本当にヘコみました。
でも、この失敗があったからこそ、後の留学や飛行訓練、そして現在の私があると思っています。
再挑戦!今度こそアメリカへ
帰国後、キャンセルスタンプの押されたB-2ビザ付きのパスポートを「紛失したこと」にし、警察で正式に紛失届を提出。
パスポートを再発行してもらい、今度は神戸のアメリカ領事館へ。
そして再びB-2ビザを申請し、無事に発給されました。
今回は前回と違って航空会社も変更。
タイ航空(当時は不法入国が多かったらしい)ではなく、安心の日本航空でロサンゼルスへ。
イミグレーションでは再びドキドキの面接。
だが、今度は無事通過!

つづく
